# 後悔は時間が経つと入れ替わるらしい
夏祭りの夜のことを、ときどき思い出します。打ち上げ花火が上がる瞬間、腹の底に響くような音がして、周りの人がいっせいに空を見上げる。でも、あの大きな音は、驚くほど早く消えるんです。数秒後にはもう、屋台のざわめきと虫の声が戻ってきている。大きく鳴ったものほど、静かになるのも早い。
後悔にも、これと似た性質がある気がします。そう考えたくなる調査が、アメリカにあります。
## 同じ32人に、二つの聞き方をした
1994年、心理学の学術誌に載った調査です。舞台はニューヨーク州のイサカという街。バス停やコインランドリーといった公共の場で声をかけられた、32人の大人が対象でした。
質問は二段構えです。まず「この一週間で、いちばん後悔している『したこと』と『しなかったこと』を、ひとつずつ思い浮かべてください」。内容を書かせることはせず、頭に浮かべるだけ。そのうえで「どちらをより後悔していますか」と選ばせます。
次に、同じ32人に、時間の幅を変えて同じことを聞きます。「人生全体をふりかえって、いちばん後悔しているのは『したこと』と『しなかったこと』のどちらですか」。質問の順番は人によって入れ替えてあり、聞く順序の影響が出ないよう設計されていました。
一週間と、人生全体。同じ人が、二つの時間の幅で答える。
わざわざ同じ人に二度聞くのは、面倒な手間です。でも、この面倒さにこそ意味があります。「一週間の後悔が強い人」と「人生の後悔が強い人」を別々の集団から集めてしまうと、そこにいるのはただ性格の違う二組、という可能性が残ります。同じ32人が、同じ質問に、時間の幅だけを変えて答える。人はそのままで、動いたのは時間の方だけ。だからこそ、答えの違いをそのまま受け取れるわけです。
この二つの答えが、きれいに割れました。
## 一週間前と、人生をふりかえったとき
まず、直近一週間。「したこと」をより後悔すると答えた人が53%。ほぼ半々です。やって失敗した後悔と、やらなかった後悔が、拮抗している。
ところが人生全体になると、景色が変わります。84%の人が「しなかったこと」の方をより後悔していると答えました。統計的にも、偶然とは考えにくい差です(z=2.94、p<.01)。
念を押しておくと、比べられているのは同じ32人。同じ人が、聞かれる時間の幅が変わるだけで、後悔の主役を入れ替えているわけです。近くを見れば「したこと」、遠くを見れば「しなかったこと」。
つまり──「どちらを後悔しやすい性格か」ではなく、「いつの後悔を聞かれたか」で答えが動く、という話です。
## 「しなかったこと」の中身
同じ論文には、もっと人間の顔が見える調査もあります。大学の名誉教授10人、老人ホームの入居者11人、大学生40人、大学職員16人。合わせて77人に、面接や無記名のアンケートで「人生最大の後悔」を自由に語ってもらったんです。
集まった後悔は213件。仮説を知らされていない判定者が、それぞれを「したこと」「しなかったこと」「本人にはどうにもできなかった出来事」に分類していきました。結果、「しなかったこと」への後悔が63%。「したこと」の37%に対して、ほぼ2倍でした(z=3.65、p<.001)。
中身でいちばん多かったのは、「教育の機会を逃したこと」。それから「その瞬間を掴めなかったこと」──目の前に来ていた機会を、そのまま行かせてしまったこと。進学を選ばなかった。学び直さなかった。あのとき手を挙げなかった。213件の上位に並んでいたのは、派手な失敗談ではなく、そういう静かな見送りでした。
面白いのは、判定者たちがこの分類作業を「難しい」と最初は身構えていたことです。行動と不作為は、裏表になっていることが多いから。「軍隊に入ったことを後悔している」と言われたとき、それは軍隊に入った行動そのものへの後悔なのか、入ったせいで諦めた別の道への後悔なのか、外からは判断がつきにくい。結局、本人が語るときにどちらを主語にしているかで分類したところ、判定者同士の一致率はかなり高かったそうです。人は、自分の後悔がどちらの形をしているか、話しぶりの中ですでに選んでいるようです。
## それでも、まだアメリカの話です
補強として、同じ論文の電話調査にも触れておきます。シラキュース市の電話帳から無作為に選ばれた60人では、75%が「しなかったこと」への後悔の方が強いと回答。シカゴ都市圏の30人でも、70%が同じ向きでした。方向は揃っています。
ただ、ここで立ち止まりたいことが二つあります。
一つ目は、規模と場所。32人、77人、60人、30人。どれも米国の、特定の地域の少人数サンプルです。日本で同じ調査をしたらどうなるかは、この論文からは分かりません。書かれていないことは、分からないままにしておきます。
二つ目は、文化です。原論文の著者たち自身が、行動を美徳とみなす西洋社会の傾向がこの結果に影響している可能性を認めていて、行動志向でない文化では結果が弱まるかもしれない、と書いています。言い換えると、この84%が示しているのは「行動が好まれる社会で暮らすアメリカの人たちが、そう答えた」というところまで。人間なら誰でもこうなる、という証明の手前で、論文はきちんと足を止めています。
「じゃあ結局、どこまで信じていい数字なのか」。そう思う人もいるでしょう。少なくとも言えるのは、著者たち自身がこの限界を隠さずに書き残しているということ。都合の悪い注記を削らずに公開している論文の方が、都合の良い数字だけを並べた話より、まだ信じやすい気がします。
この「まだアメリカの話です」には続きがあります。この結果がその後どう検証されていったのか、という角度は今回の記事では扱いません。同じテーマを動画のほうで、また違う切り口から掘り下げています。
▶ 動画で見る: https://youtu.be/tdtW7Rey568
## 音は消えたのに、鳴り止まないほうがあった
冒頭の花火に戻ります。
「したこと」の後悔は、打ち上げ花火に似ている気がするんです。やらかした直後は、腹に響くほど大きく鳴る。一週間の幅で聞けば半々まで食い込んでくるくらいには、うるさい。でも、破裂した音はいつか消えます。
「しなかったこと」の後悔は、そもそも破裂しません。最初から大きな音を立てないぶん、消えるきっかけも持たない。気づくと、祭りが終わったあとの夜道で、まだ低く鳴っている。人生全体という長い夜のなかで84%を占めていたのは、こちらの音でした(自分の中にも、鳴り止んでいない音がいくつかあることに、書きながら気づきました)。
なぜそうなるのかまでは、この論文の数字だけからは言えません。花火の後ろに何があるのか、鳴り止まない音の正体が何なのか、そこまでは調査の外側にある問いです。ここで言えるのは、あの32人が見せた時間のパターンと、それをどう受け取るかの側に、あなたの夜道があるということくらいです。
派手に鳴った音から、順に消えていく。鳴り止まないのは、上がらなかった花火のほうでした。
## まだ鳴っている音のために
長く鳴り続けている音は、外からは聞こえません。聞こえない音をひとりで抱えて歩く夜道は、思っているより長いものです。
こっそりカフェは、そんな気持ちを匿名で、無料で話せる場所です。叱ったり、こうしなさいと導いたりするためではなく、ただ、あなたの話を聞くために、学生の相談員がいます。すぐにお返事できないこともありますが、言葉にしてみたくなったときに、そっと開いてもらえたらと思います。うまくまとまっていなくても、「昔の花火はとっくに消えたのに、上がらなかった花火の音だけがまだ鳴っている気がする」だけでも大丈夫です。
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