運動したいのにできてない人が多いらしい
運動やスポーツを「したい」と思っている人は66.6%。でも、週1回以上、実際にしている人は52.5%。その差は、14.1ポイントです。
スポーツ庁が毎年やっている「スポーツの実施状況等に関する世論調査」の、令和6年度版(令和6年11月調査)に出てくる数字です。今日はこの14.1ポイントの中身を、書いてあることと書いていないことに分けながら、ゆっくり眺めていきます。
66.6%と52.5%、この差は何でしょう
まず、数字の定義から確かめます。
52.5%というのは、20歳以上の人のうち「週1回以上、運動やスポーツを実施した」人の割合です。男性は55.6%、女性は49.6%。つまり大人のだいたい半分が、週に1回は体を動かしている計算になります。
一方の66.6%は、「週1回以上、運動やスポーツを実施したいと思う」人の割合。こちらは希望の数字です。
ここで見落としたくないのは、両方とも「週1回以上」という同じ基準で測られている、という点です。したい人が66.6%、している人が52.5%。基準がそろっているからこそ、引き算に意味が出ます。66.6から52.5を引いた14.1ポイント。100人の大人がいたら、14人ほどが「週1回はやりたいと思っているのに、実際にはそこまでやれていない」側にいる。この調査が写しているのは、そういう風景です。
願望と行動のあいだに、はっきり幅がある。まずはそれだけを、数字として受け取っておきます。
運動しない理由は、資料のどこにも書かれていません
では、なぜその14人はやれていないのか。
この資料を読んでも、そこは分かりません。この調査が測っているのは「したいか」と「したか」であって、「なぜしなかったか」を14.1ポイントの内訳として説明する記述は、少なくともこの数字のそばにはないんです。忙しいから、疲れているから、お金がかかるから——それらしい理由はいくらでも思いつきますが、思いつくことと、データが示していることは別物。ここでは「差がある」という事実だけが確かで、その中身は空欄のまま残されています。
その空欄を、こう考えてみたくなりました。
「したい」と「している」のあいだには、助走のような区間があるのではないか。幅跳びを思い浮かべると、踏み切る瞬間の手前には、必ず走ってくる数十メートルがあります。跳びたい気持ちと、実際に跳ぶこと。そのあいだを埋めるのは気合いではなく、あの地味な直線です。66.6%と52.5%の差にいる14人は、いま助走路のどこかを走っている人たちなのだと思うと、数字の見え方が変わってきます。
調査はスタート地点と着地点を写真に撮っています。でも、助走路そのものは写っていない。だから14.1ポイントの中で何が起きているのかは、誰にも断定できないわけです。
20代から40代の女性で、その差が大きいようです
資料には、もうひとつ手がかりがあります。この「したい」と「している」の乖離は、特に20代から40代の女性で大きい、という記述です。
ただし、ここも精読が要ります。書かれているのは「その年代の女性で差が大きい」というところまで。何ポイント大きいのかという内訳の数字は、資料に載っていません。だからここで「20〜40代女性の差は◯◯ポイント」と具体的に言ったら、それは資料ではなく私の発明になります。言えるのは、全体で14.1ポイントある幅が、この層ではさらに広い傾向にある、というところまでです。
そして、なぜこの年代の女性で差が大きいのかも、やはり書かれていません。家事や育児や仕事——頭に浮かぶ事情はあっても、それをこの数字の説明として書いたら、憶測を事実の顔で流すことになる。分かっているのは、「やりたい気持ちは持っているのに、行動に移せていない幅が、この層でいちばん広い」という形だけ。助走路が長くなりがちな区間が、統計の上に影として見えている。そう受け取るのが、この資料に対して正直な読み方だと思います。
原因不明のまま置いておくのは、座りが悪いですね。
でも、分からないものを分からないまま持っておくのも、数字と付き合う作法のひとつです。
助走の途中で
助走について、もう一歩だけ踏み込みます。
幅跳びの助走には、面白い性質があります。外から見ると、ただ走っているだけで、跳ぶかどうかは五分五分に見えます。本人の中では踏み切りの準備が進んでいるのに、記録として残るのは跳んだ距離だけです。統計も同じで、「週1回やった」に丸がつくまで、その人の助走はまだ数字の外側にあります。ウェアを買った日も、動画を眺めた夜も、駅で一駅手前から歩いてみた朝も、52.5%の側には入らないんです。
(白状すると、うちの玄関には去年の冬に買ったランニングシューズがあります。夜、帰ってきて電気をつけると、白い靴がぼんやり光って見えて、目が合うたびに小さく気まずい。あれを履いて走った回数は、まだ片手で足ります。話を戻します。)
つまり、66.6%と52.5%のあいだの14人は、統計上は「していない人」と一括りにされますが、実際にはそれぞれ違う地点を走っている。踏み切り板の直前の人もいれば、まだ走り出す前にストレッチをしている人もいる。数字は幅を教えてくれますが、一人ひとりが助走路のどこにいるかまでは、数字の外側の話です。ここが、この統計を読むときにいちばん忘れたくないところです。
助走の長さは、比べなくていい
「したいのに、していない」。この状態を、意志が弱い証拠のように扱う空気があります。
でも、ここまで見てきたとおり、資料はそんなことを一言も言っていません。言っているのは、大人の3人に2人がやりたいと思っていて、2人に1人が実際にやっている、その間に幅がある、というところまで。幅の中にいることに、資料は良いも悪いも付けていないんです。だったら、読む側が勝手に採点する必要もないはずです。
助走の長さは、人によって違います。三歩で跳べる人もいれば、長い距離を走ってようやく踏み切れる人もいる。跳び方の教本はあっても、あなたの助走路が何メートルであるべきかを決められる人は、どこにもいません。
ついでに、ひとつ注釈を。この「運動している」という数字、実は測り方次第でけっこう顔つきが変わります。週1回なのか、もっと厳しい条件なのか、続けているかどうかを問うのか。定義が違えば、別の調査では別の数字が出てくる。その数字の顔つきの違いは、YouTubeの動画(https://youtu.be/-LSwUZFUfYU)のほうで扱っています。気になった人は、そちらも覗いてみてください。
踏み切り板の手前で立ち止まっている人へ
66.6%と52.5%。二つの数字のあいだには、14.1ポイントぶんの助走路が延びていて、そこを今日もたくさんの人が、それぞれの速さで走ったり、歩いたり、立ち止まったりしています。跳んだ距離しか記録されない世界で、記録に残らない助走を続けている。それ自体、もう何かをしている姿だと私は思います。
跳べない日が続くと、助走している自分ごと疑いたくなるものです。走り出せない朝や、靴を眺めるだけで終わる夜のことを、誰かに話したくなったら。
こっそりカフェは、そんな気持ちを匿名で、無料で話せる場所です。(叱ったり、こうしなさいと導いたりするためではなく、)ただ、あなたの話を聞くために、学生の相談員がいます。すぐにお返事できないこともありますが、言葉にしてみたくなったときに、そっと開いてもらえたらと思います。うまくまとまっていなくても、「まだ助走の途中です」だけでも大丈夫です。
もし、いますぐ誰かに助けてほしい、つらくて限界だ、というときは、よりそいホットライン(0120-279-338、24時間・無料)など、すぐに話せる窓口も遠慮なく頼ってください。




